陶芸をやるにあたって肝に命じてることがいくつかあった。
この仕事を志ざした時、そして走り始めた時に。
先ずは学生時代の先輩に言われた事。随分と昔の話ではあるが…
⚫︎作家崩れになるな! (カッコだけではダメだよ〜って。物書き対象のイメージだったけど皆同じ。)
次にこの仕事に入った時この世界の先輩に言われた事。
⚫︎いつまでもバイトをしながら焼くのは情けない。これで早く食え!と。
(バイトが悪いわけじゃ無いけど何処かで踏ん切って一本にかけてみる。
頑張って後は天に任せる。)
仕事の注文や展示会の依頼が来る様になった頃、自身で決めてた事。
⚫︎物理的に無理でない限り仕事を断らない。(今は良くても来年の事はわからないもんなぁ〜、それに振り返ると走り時ってあるんだよね。)
自分で選んだ以上その仕事で食え!という事なんだけど最初は中々ね〜
陶芸の先生には5年で何とかしろとも言われた。仲間内では、月30万売れる様になったらいいんだけどなぁ、が暗黙の目標みたいだった。
今日から陶芸家と名乗るのは簡単だけどそれからの道のりに皆、四苦八苦。
やがて理路整然として仕事をするというより、兎に角いつもバタバタして作っているという状況になってきた。展示会の直前まで一発勝負の窯を焚く事も普通のながれ。
いつも焼いてたので物も手元に沢山あった。(今はねぇ…)
だから来週から展示会できないかとの無理な依頼も2つ返事で受けれた。月に2つ3つ同時に展示会が回っていた事もザラだった。
特に美濃の食器作家さんは当時そういう人が多かった気がする。
遅ればせながらこの頃窯を2基に増やしてみた。お蔭で仕事はやり易くなった。でも時々何を作ったら良いか分からなくなる時も多々あった。
常の注文等とは別にメインの大きな展示会が秋にあり、併せてもう2カ所程、結構な量を作らないといけない展示会の依頼もあり、そんな状況が何年か続いた。時代のもたらす雰囲気は今とは随分違っていた。
赤絵で大成功したKさんがずっーと以前、忙しすぎて新しい物が浮かばなくて、頭がピーマンになりそうって言って頭を掻いていたのが懐かしい。
皆んな散々吐き出した挙げ句に物を捻り出していた。
猛者のS先輩は当時忙しい時には、0.7 ㎥(1m×1m×0.7m)の窯を月に13〜4回焼いていると聞いた事がある。まるで自分が止まってる様に思えた。
そういった時代は大変だったけれど今思えば結構面白かったかなあ。
求められて続けられたのは幸せだったと思う。
でもそんな時期を経たから、出来ることが今ある様な気がする。
デザインでなく、何かのエネルギーと遊ぶ様な作り方。
集中力が続かないのが難点だけど…
まあ気取らず気張らず楽しんで作り、使い手も一緒に面白がってくれたなら、それが一番いい。
自分の形でやれてきたかどうかは分からないが、陶芸は生業だと思うし土に生かされてきたと思っている。自分をアーティストと思った事は一度もないし陶工にも敵わない。呼び方に困るのでセンセーと言われる事はあるけれど…
でもそんな事はどうでも良くて只、無駄な力を抜いて作りたいだけ。
時々自分は何者なんだろうとも思うが、まあしゃあないか〜 って事で。m(_ _)m
何事も無為自然にいきたい。
目指すものはもう少し先にあると思ってる。
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